50代を迎え、過去最重量の72kgに達した頃の僕は、自宅マンションの階段を2階まで上るだけで息が切れ、太ももが鉛のように重くなっていました。鏡に映るたるんだお腹を見るたびに、「これが年齢というものか」と半ば諦めかけていたのです。

そんな運動経験ゼロの僕が、なぜ無謀にも「走る」という選択をし、今こうして2026年12月のNAHAマラソン完走を目指すまでになったのか。ブログ「Re:50」の原点となった、僕自身のリアルな葛藤と決断の記録を振り返ります。

1. 階段で息が切れる自分への危機感…僕が走り出そうと思った瞬間

きっかけは特別な出来事ではありませんでした。本州から沖縄・那覇へ転勤してきた直後、職場の引っ越し作業や日々の通勤で、自分の体力の衰えを痛感したことです。ちょっとした荷物を運ぶだけで膝に違和感があり、夕方になると足首がむくんで重い。健康診断の数値も年々悪化し、「このまま60代を迎えたら、自分の足で自由に歩けなくなるのではないか」という本物の恐怖が湧き上がってきました。

「この重い身体を、もう一度軽くしたい。」

そう決意した僕が最初に始めたのは、食事を「腹八分目」に抑えることと、近所をトボトボと歩くウォーキングでした。少しずつ体重が落ち始め、「身体が軽くなってきたなら、ほんの少しだけでも走ってみたい」という欲が自然と芽生えてきたのです。

2. 50代初心者の僕が最初に直面した「3つの現実」

とはいえ、学生時代から運動部に入ったこともない僕にとって、ジョギングは未知の領域でした。実際に走り出してみて、最初に突きつけられたのは厳しい現実でした。

  • 1kmすら続けて走れない: 最初はキロ8分という早歩きに近いペースですら、500m走っただけで心臓が喉から飛び出そうになり、立ち止まってしまいました。
  • 翌朝の関節のこわばり: 筋肉痛だけでなく、足首や膝のお皿の周りがギシギシと軋み、「長年動かしてこなかった関節の脆さ」を痛感しました。
  • 周りのランナーとのスピード差: 新都心公園ですれ違う颯爽とした市民ランナーたちを見て、みじめさや恥ずかしさを感じることもありました。

3. 見栄を捨て、「歩き混じりのゆるジョグ」を自分の正解にした

ここで若い頃のように「根性で毎日走る」という無理をしていたら、僕の足腰は1週間で壊れていたはずです。僕が生き残るために選んだのは、「見栄をすべて捨てること」でした。

「息が上がったら、迷わず歩く。」
「人と比べるのをやめ、自分のスマートウォッチの心拍数だけを見る。」
「走るのは週に2〜3回。痛い日は首里の坂道を歩くだけにする。」

この自分なりのルールを決めたことで、走ることが「苦行」から「自分の身体と対話する大切な時間」へと変わっていきました。体重は半年間で72kgから60kg(-12kg)へと減少し、身体が軽くなるにつれて、少しずつ走れる距離が1kmから3km、そして5kmへと伸びていったのです。

4. まとめ:僕の挑戦は、ここから始まった

運動経験のない50代が走り始めるのは、決して格好いいことばかりではありません。足は痛むし、ペースは遅いし、今でも走る前は気が重くなる日があります。

それでも、あの日重い腰を上げて最初の一歩を踏み出したからこそ、今の「NAHAマラソン完走を目指す僕」がいます。年齢を言い訳にせず、壊れやすい身体をいたわりながら、これからも等身大のペースで一歩ずつ前へ進んでいこうと思います。